長すぎるコンセプト文についてデザイナーに聞いてみた#02【民藝との共感】

ブルーオーバーがコンセプトを刷新。その意味を掘り下げます

設立10年を迎え、ブルーオーバーはコンセプト文をアップデート。新しいコンセプト文には、ブランドの背景や物作りの考え方、そして履く人と共有したい思いを込めています。

ブルーオーバーのコンセプト全文を読む

2500文字以上とかなり長文のコンセプトですが、読みやすく削った部分も。このコンテンツでは執筆したブルーオーバーのデザイナー渡利とブランドスタッフの江川が、余すことなく内容を掘り下げていきます。

人物紹介

渡利(ワタリ)
ブルーオーバーの発起人であり、デザイナー。たまの趣味は木彫り。愛車は初代ホンダシティE-AA。

江川(エガワ)
ブルーオーバー / ストラクトのスタッフ。休日は手芸を楽しむ。作った物をすぐ使えると嬉しい。


#01立ち上げの背景へ

コンセプト文中の「ブルーオーバーのはじまり」と「靴作りの背景」を詳しく読み進めていきましたが、今回は続く「民藝運動からの影響」を見ていきます

よろしくお願いします

民藝運動からの影響

私は仕事(プロダクトデザイン)を行うなかで、一つの運動に影響をうけています。それは柳宗悦氏の提唱する民藝運動です。

コンセプト原文より

柳宗悦氏というと、プロダクトデザインの巨匠、柳宗理氏のお父さんですよね。 柳宗理さんは渡利さんやわたしのような、デザインを学ぶ人、学んだ人は必ず通る著名なデザイナー。名前は聞いたことなくても、カトラリーやキッチンツールなんかを見たことある方は多いかと思います

そうです。実は民藝を知るきっかけは、宗理氏が手掛けたプロダクトだったんです

そうなんですね。そこからどうして宗悦さんの民藝の方に興味が向いたんですか?

デザインに興味を持った当時、さまざまな工業製品のなかに、一際魅力的に映ったのが宗理氏のプロダクトデザイン群でした。意匠に無駄がなく、合理的でありながら、それでいて温かみある道具。当時はそのフォルムにただ単純に惹かれました。ほかの均一的な工業製品とは違って、人が見えた感覚を覚えています

人が見える、というと?

多分、哲学者の鞍田崇さんがいわれているインティマシー(いとおしさ)のようなものを感じたのかなぁ。そこから何故そういう「いとおしさ」を感じる形や雰囲気になるのか。それを見つけようと掘り下げていったことで、父である宗悦氏の「民藝」にたどりつくことになりました

渡利さんは、同じプロダクトデザイナーである宗理氏に興味を持ったことをきっかけに、父であり哲学者の宗悦氏を知って、影響を受たんですね。わたしも学生の頃、民藝について学んだとは言え概要部分だけだったので、ブルーオーバーのスタッフになってから改めて、宗悦氏の著書をあたって詳細を知りました。日本民藝協会のホームページを見ると、民藝の特性についてこんなことが書かれてますね

実用性。鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。

無銘性。特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。

複数性。民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。

廉価性。誰もが買い求められる程に値段が安いものである。

労働性。くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。

地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。

分業性。数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。

伝統性。伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。

他力性。個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである。

日本民藝協会ホームページより抜粋

ブルーオーバーの物作りにも、共通する部分がいくつかあるような…

ブルーオーバーを立ち上げる時には、民藝を意識して動いていたつもりはなかったんだけど、改めてこの特性を見たときに通ずる部分があるなって思いました

1900年代前半、工業化による大量生産が始まった時代でした。そして同時に、工芸品は華美で装飾的な存在となり、柳宗悦氏はその背景から、各地の風土や適した環境下のもと、そこに根付いた生活の中に本当の美があるとし、そこで働く名もなき職人たちの手仕事から生まれるモノこそが、衒(てら)いのない用に即した「健全な美」であると示しました。

コンセプト原文より

ここでは宗悦氏の見出した民藝に宿る「美」について言及しています

一般的には、これまでの道具における「美」の価値基準は、高価な材量をつかったり、有名な工人の手がけたものが美しいとされていたんです。だけど宗悦氏はそうした物質的なものだけではない部分にも「美」が宿ることを見極めたんですね

「美」は一般的には視覚的に美しいを指すものと思いますが、民藝の定義の中では形状について、「ここがこうだから綺麗だ」という風には書いない。つまり、「姿、形」に対しての美しさの話ではないと伝わるんですが、正直さっと読んだだけではわからないというか

たしかにわかりにくよね。言うように、ここで示している「美」は姿、形だけを指しているわけではないと思います。宗教哲学者でもあった宗悦氏は、宗教的観点からの美のとらえかたを示していると解釈しています

私は民藝に対しては、宗悦氏が言った「用の美」、つまり用途や機能が美につながると解釈していました。用の美(機能美)が民藝がほぼイコールというような

確かに、そういった受け取り方は多いよね。僕も初めはそういう風に見えていた節があったんだけど、デザインはロジックとしてその道具の成り立ちを紐解き、形に結び付けようとするクセみたいなものがあるからだと思ってます。でも民藝をみていくと決して機能美だけじゃないってことがわかったです

ふむふむ

そもそもオリジナル?の民藝である美の選定は彼の卓越した審美眼にあって、世間の言う民藝とはまた別のものであると個人的には考えています。昔(1960年-ごろ)民藝ブームがあって、その中で定義をそれぞれ拡大解釈してしまって、今となってはなんだかカオスのような状況にあると思っています。民藝館にある宗悦氏の選定した民藝品はすごいモダンで直感的に美しいとも思えるけど、どこか地方にあるお店で売っている、なんだかなーって思う品も民藝品とうたってたりする

たしかに、民藝という言葉はかなり広義になってきている感じはしますね。…ここでずばり聞くと、ブルーオーバーは民藝なんですか?

ここまで話してなんですが、実はブルーオーバーが民藝だと思ったことは一度もないんですよ(笑) そもそも自らこのブランドは民藝ですっていうのも変なことだしね。ただ、宗悦氏の思想に影響を受けたことは事実だし、そこに書かれている定義はすごく素敵だなと思っています。もしどこかで、ブルーオーバーは民藝だって言われたら、それはすごい嬉しいことだとは思っています

なるほど! たしかにそうですよね、そもそもそれその物を民藝か民藝じゃないかをジャッジするのは我々ではないという…。つまり、宗悦氏の言う民藝の定義には共感するけど、ブルーオーバーは民藝であろうとしているわけではない。
少し「美」の話に戻すと、渡利さんは宗悦氏の思想をどう解釈しているんですか?

「地域社会に暮らす人々の中から、必要とされて産み出された道具。その道具はその土地の風土を活かしながら、そこに暮らす地域の人たちにとってはその道具をつくる「仕事」としても存在する。そこに有名無名は無くて、ただ人の営みの中に当たり前に存在している。ヒトとモノが関係しあうその循環が、とっても自然であり健康的で美しいよね!」ってことだと僕は解釈してて、それがすごいいいなって思ってるんですよ。「健全な美」の健全って部分がいいなと思ってます。健全でいて美しいことって素敵だなーって思います

民藝に宿る「健全な美」とは、姿形だけではなく、それを取り巻く背景も含めての「美」を指す。という解釈なんですね。わたし自身、民藝に対する見方もちょっと変わってきたようにも思えます。
ブルーオーバーの、素朴で丸みを帯びた見た目と、日本製というところ。あと、民藝というワード。そこだけ拾うとあたかも民藝を標榜していそうですが(笑) 実はそれだけじゃなくて、宗悦氏のいう健全な美の思想に共感したことは大きな要素ではあれど、前回触れたような消費サイクルに対する疑問などなど…これ以降解説しながら触れていく部分も含めて、他にも沢山内包したアウトプットがブルーオーバーというブランドだ、ということなんですね

生活に存在する美。私はこの考えに強く影響をうけ、現代社会においてもその地域に根付く風土、培われた技術を基礎にした設計を施すことが大事であると考え、極力不要なデザインを行わないように心がけています。その健全な美を生み出すことができる職人たち(産地)を絶やさぬことがブルーオーバーの活動でもあります。

コンセプト原文より

極力不要なデザインを行わない…だからブルーオーバーは、大量生産がベースにある他のブランドと違ってマークがないのでしょうか

マークがない=アンチ大量生産ってわけではないし、不要とも思ってないです。最近はマークが小さく入っているブランドなんかも多いわけで

衣類のブランドでもかなり増えてますよね

大々的にサイドにマークを配置した意匠が多かったのは、そういった時代だったんだなと思ってます

流行だったものが定着したってことですね

でも、僕らの靴のサイドに大きなマークがないのは、確かにブランド名が先にくる状態ではなく、アノニマス(匿名)であるべきだという考えはありましたね。それは名もなき職人たちこそが、僕たちのブランドを作り上げているんだという意思表示のようなものかもしれない

それに、無名性の高い姿だからこそ、素材やフォルムが浮き彫りになった見応えのある姿になっている。という側面もありますよね。職人の仕事が活かされているというか

それはあるかもしれないね。僕はデザインするとき、お願いする工場さんの得意とすること…強みを第一に考えて設計を始めます。こちらのデザインで、工場に不慣れなことをさせてしまうと、結果として不要な要素が溜まっていってしまうことが多い

不要な要素というと…うーん、それは例えば職人さんの作業工程なんかも含まれるんでしょうか

そうですね。反対に工場が得意な手法をうまく取り入れて設計すると、非常に美しいモノになっていきます。これは素材に関しても同様のことが言えます

つまり無理なことをすると、非効率でかっこ悪いものが生まれてしまうと。ブルーオーバーはなるべく、無理なことはしないように、工場の強味を活かして、素直に、自然に出来上がる形を見届けようということですね。確かにそれは、最終的に姿に表れているように思います

今回、コンセプト文中の「民藝運動からの影響」を、ブルーオーバーのデザイナーでありコンセプト文の執筆者である渡利と読み進めました。
宗理氏の父である宗悦氏の提唱する「民藝」に出会い、その原始的で純粋な思想に強い影響を受けます。
そしてその民藝に共感を抱きながら「健全な美」を生み出す場所や人を残してゆくために、今も取り組みを続けています。

次回はブルーオーバーが実践しているデザインについて、引き続き読み解いていきます。

#01立ち上げの背景

#03靴に込めた想い

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