これまで生きてきたなかでいちばんよく歩いていたのは二十代半ばの数年間だった。
 私は池袋駅の東口を出て、明治通りを目白方面に歩いていき、ジュンク堂書店の角を左に曲がると東通りという細い商店街がある。そこをずっとまっすぐ進んでいけば都電荒川線の雑司が谷駅と、さらに先には雑司ケ谷霊園が広がっているのだがそこまでは行かない。
 私はそのずっと手前の、小さな墓地の脇の細い路地に入る角を右に曲がる。自動車は通れない、歩行者もすれ違うのがやっとぐらいの道で、右手には墓地を仕切る壁が、左手には路地に面して経つ住宅の出入り口が迫っている。進んでいくと左手の住宅が切れたところの小さなお稲荷さんの入口がある。そしてそのお稲荷さんの入口の前あたり、細い路地の中央に車止めなのか石柱がひとつ設けられていて、その石柱の下部に猫のような形の黒い染みがあった。
 なので私はこの石柱のことを猫石と、そしてこの細い路地のことを猫道と、ひそかに呼んで、散歩するときには必ずこの道を通った。この猫石まで来ると、今日も散歩のはじまりだという気持ちになる。
 ときにはお稲荷さんの境内に立ち寄ることもあったが、だいたいは猫石を確認したらお稲荷さんを素通りして猫道を進んでいくと、路地は終わりの所で鉤形に曲がり、曲がった先は急に視界が開けてさっきのお稲荷さんとは別のお寺の境内に出る。左手の手前と奥にふたつお堂が並んでいて、奥のお堂の正面から右の方へ参道の敷石が伸びているから、奥の方が本堂なんだろうが、ここにもほとんどお参りしたことはない。歩いていた当時も、それから十五年以上経ったいまも、このお寺のことやさっきのお稲荷のことをよく知らない。不信心なことだが、由緒や縁起を知らぬままその前を通り過ぎたり、境内を通り抜けたりしても咎められることのない寺社という場の開け具合に対する畏敬の念はある。
 この境内にはよく猫がいて、うろうろ歩いたり、何匹かで集まって丸くなっていたりした。猫道から来ると境内の脇から侵入してきたような具合で、私は出くわした猫やお釈迦様に会釈程度の挨拶を向けつつ参道の敷石を逆向きに進んでいく。
 境内から公道に出ると前に延びる細い道の先にまた別の寺社らしき塀と葉の繁り、翳りが見えてきて、そこは鬼子母神だ。
 正式には「雑司ヶ谷鬼子母神」というここの鬼子母神の「鬼」の字は、書くと一画目になる上の点がなく、境内の看板や幟も点のない「鬼」の字が記されている。でもウェブ上では表示できないかもしれない。境内には駄菓子屋や巨大な銀杏の木もあって、ここでも私は特にお参りなどはせずに高い枝葉に覆われて日陰になった境内をふらふら歩いたり立ち止まったりしながら通り過ぎていく。
 鬼子母神の境内を出て石畳の敷かれた表参道をまたも参詣とは逆向きに進んでいくと踏切があって、すぐ横に浮島のような都電荒川線の鬼子母神前駅のホームがある。さっきまっすぐ行かなかった東通りの先にあった雑司が谷駅の隣駅で、荒川線は駅間が短いからひと駅くらいなら歩いても五分とか十分くらいで歩ける。いまだと鬼子母神前駅の地下には東京メトロ副都心線の雑司が谷駅があって、つまり荒川線の雑司ヶ谷駅と副都心線の雑司が谷駅は荒川線のひと駅分離れたところにあって少しややこしいが、私が歩いていた頃はまだ副都心線の開通前だった。
 踏切を過ぎた先も表参道としての名残は強く、両側には商店が多く並んでいる。少しカーブしながら続くその道をそのまままっすぐ進めば目白通りに出るが、私はその途中にいくつかある曲がり角のうちどこかの角を左に入る。
 その先の道行きはここまでのようには説明できない。その先は迷い路だ。
 都電荒川線と目白通りと雑司ケ谷霊園に囲まれたこの一帯は細い道が曲がりくねって入り組んだ住宅街で、その内側に入って歩けば自分がいまどの方向に向かって進んでいるのだかすぐにわからなくなった。建て込んだ家屋で視界の見通しは悪く、Y字路や斜めの交差路も多い。古い建物が多いせいで目から入ってくる情報量も多く、濃い。
 ところで、私がなぜ池袋駅から歩きはじめ、どこに向かっているかを私はまだ書いていなかった。その頃の私は二十代半ばで、高校を出てしばらくぷらぷらフリーターをしていたが、小説を書くことについて考えはじめたことをきっかけに、世間的には少し妙なタイミングで大学に入学したのだった。いま私は授業に行くために池袋駅から大学のある早稲田方面に向かっている。
 早く行きたいのなら池袋から山手線に乗って高田馬場に行きそこからバスに乗るか、あるいは地下鉄東西線でひと駅隣の早稲田駅に行って降りれば、池袋から十五分か二十分ほどで大学に着く。でも私はよほど急いだり天気が悪かったりしなければ、ほとんどいつも池袋から早稲田まで歩いていた。
 あの頃は急いでいる日など一日もなかったし、大学に通っていた頃は雨なんか一日も降らなかったような気さえする。そんなはずないのだが、それは単なる時間の経過による記憶違いとかとは違って、人生のなかで最もよく歩いた一時期のことを、私はひそかに自分の絶頂期と呼んでいて、その呼び名の通り、いまのところあの数年が自分の人生のハイライトだと思っているその気持ちがそんなふうに記憶を晴れやかに穏やかにする。
 絶頂期と言っても、なにかいい出来事が立て続けに到来したとか、そういう出来事的な意味で言うのではない。この頃の私はまだ小説家としてデビューもしていないし、仕事もしていなければお金もない。世間から見ればむしろ停滞期とか低迷期とか言う方が似合う。ではなにが絶頂だったかといえば、先ほど角を曲がって迷路みたいな雑司が谷の路地を歩いているときの私の全身が絶頂だった。
 目に入ってくる色や光。曲がり角の先に現れる景色。聞こえてくる音。足の裏に響く地面の固さ。歩く速さ。自分の体の外からやって来るあらゆる刺激が、その頃の日々のなか興味の向くままに読んでいた本や観ていた映画のなかの、あるいはこれから読もうとしていた本やこれから観ようとしていた映画のなかの言葉や映像、そこに潜んだ様々な作為や含意を喚起した。自分が一歩歩くごとに自分の思考もひとつ進んでいき、しばらく歩いたあとには、歩き出す前には考えの及んでいなかったところにたどり着くとか、なにかしらの考える手がかりに行き着いている。なかには誤解や思い違いもあっただろうが、歩いた私の実感としては、歩くことに伴って自分の確かな変化があった。
 ただ歩くだけでよかったのだ。歩けば歩くだけ、歩く者の体は移動した距離と時間に応じて違う場所に行くことができるが、それが物理的な意味だけでなく、自分が使う言葉においても起こるように思えていた。行き先の決まった移動や散歩ではなく、ただ思うまま歩いているだけで勝手に方角を失い、迷いながら歩き続けることができる雑司が谷のあのあたりは、その頃の私にとって最高のエリアで、気の向く方へ、足の向く方へ、書店や図書館の本棚から直感的に本を選んで手に取るように、思うまま足を踏み出す。
 そのようにして一時間ほど歩いていると、そのうち不意に目白通りのどこかに出るので、そしたらそこから通りを渡り、坂を下ると神田川のどこかに出る。
 目白通りから神田川のあいだは高低差がすごく、どこを通るにしても急な坂を下ることになり、この坂道も楽しい。いちばん好きだったのはいちばん急な富士見坂だった。富士見坂は坂の上の方で坂がY字に分岐していて、片方は円形の凹んだ模様が坂の下まで続いている。
 神田川を渡るとだいたい早稲田の近くに行き着いて、だいたい池袋駅を出てから一時間半ほどが経った私は、一時間半前とは少し違う私になって授業のある教室に向かい、授業が終わるとまた同じように夜の雑司が谷を池袋まで歩いた。


 毎日のようにそうやってたくさん歩いていたせいで、その足元にある靴についても、それまでよりも意識を向けるようになった。
 景色や音は目や耳で直接認識できるし、風や気温も、顔とか腕とかに露出した肌が直接感じることができるが、足はいつも靴に包まれている。
 歩く一歩一歩には、踏み出した足が捉える地面の固さや、足に返ってくる反動、そしてその固さや反動も利用しながらその足を後ろに蹴り出すことで、もう一方の足が前に振り出される。歩く足はそういった動作をして、それに伴う物理的な刺激を受けてもいるのだが、現代の生活様式に慣れた私たちが都市を歩くとき、それらすべては足そのものではなく、足と世界とのあいだにはいつも靴があり、その動作も反応も靴を介して行われる。
 だから靴選びには以前よりも少しだけシビアになった。でもそのシビアさは、この靴でなくちゃだめ、みたいなことではなく、自分の足や歩き方にあまりにも合わないものがちゃんとわかるようになった。そして靴が違えばその一歩一歩も、その散歩の経験もまるで違うものになり、その日の歩き方はその日履いている靴によって決まる。どの靴を履くか、そこからもう散歩がはじまっている。そう思うようになった。
 自分でも少し不思議なのだが、散歩のときに履く靴は、歩きやすくて疲れにくい方がいいというものではどうやらない。
 というか、散歩における歩きやすさとはなにか。
 それはたぶん軽さとかクッション性とか運動としての歩行に利する造作や構造によってもたらされるものではない。ランニングシューズを履いて散歩をすると、ときどき散歩を忘れて歩きすぎてしまうことがある。なるほど、靴が歩き方を決めるなら、運動のための靴はその歩行を散歩ではなく運動の方へ導こうとする道理だ。
 行き先も目的も制限時間も曖昧な移動としての散歩を続けながら、ただ歩くことだけをしている、歩き続けている、そのことを忘れさせず、一歩ごと地面と足のあいだから知らせてくれるような、わずかな負担がある方が、散歩をするときの靴にはいい。
 歩く場所も歩き方も、履いている靴もあの頃とはずいぶん変わったが、それでもよく散歩をする。調子が出てくるのはだいたい四十分ほど歩いた頃で、そのくらい歩くと、頭のなかと体の動きと、周囲の景色や音が絡み合ってきて、停滞して固まっていた言葉がちょっと動き出しそうな感じになってくる。

滝口悠生 たきぐち・ゆうしょう

小説家。1982年東京都生まれ。2011年「楽器」で新潮新人賞を受けデビュー。2015年『愛と人生』で野間文芸新人賞、2016年『死んでいない者』で芥川賞。2022年『水平線』で織田作之助賞、2023年同作で芸術選奨、「反対方向行き」で川端賞。著書に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』『長い一日』『ラーメンカレー』『さびしさについて』(植本一子との共著)『たのしい保育園』など。

写真:中村寛史